風と共に去りぬ | |
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Gone with the Wind | |
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監督 | ヴィクター・フレミング |
脚本 | テンプレート:仮リンク |
原作 | マーガレット・ミッチェル |
製作 | デヴィッド・O・セルズニック |
出演者 |
ヴィヴィアン・リー クラーク・ゲーブル |
音楽 | マックス・スタイナー |
撮影 |
テンプレート:仮リンク テンプレート:仮リンク |
編集 |
ハル・C・カーン ジェームズ・E・ニューカム |
製作会社 |
テンプレート:仮リンク メトロ・ゴールドウィン・メイヤー |
配給 |
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公開 |
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上映時間 | 222分 |
製作国 |
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言語 | 英語 |
製作費 | $3,957,000 |
興行収入 | $389,000,000 |
『風と共に去りぬ』(かぜとともにさりぬ、原題: Gone with the Wind)は、1939年に製作されたアメリカ映画。インフレを調整した歴代の興行収入では、2020年でも『風と共に去りぬ』が第1位である。主演はヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブル、レスリー・ハワード、オリヴィア・デ・ハヴィランド。監督はヴィクター・フレミング。テクニカラー、スタンダードサイズ。
概要[]
1936年6月に出版されたマーガレット・ミッチェル原作の『風と共に去りぬ』がベストセラーとなり、早くも出版の翌月に映画製作者のデヴィッド・O・セルズニックが映画化権を獲得した。その後3年の歳月と当時の金額でセルズニック・インターナショナルが400万ドル前後の製作費をかけて全編で3時間42分という大長編映画を完成させた。
初公開は1939年12月15日に舞台となったアトランタでワールドプレミアが行われた、当時としては画期的な長編テクニカラー映画であったことも手伝って、空前の世界的大ヒットとなった映画である。
第12回アカデミー賞にて作品賞・監督賞・主演女優賞(ヴィヴィアン・リー)・助演女優賞(ハティ・マクダニエル・黒人俳優では初の受賞者)・脚色賞などの8つのオスカーを始めとして、他に特別賞、技術成果賞を含む10部門を受賞した(他にセルズニックが個人で受けたアービング・G・タルバーグ賞も含めば11部門)。
スタッフ[]
- 製作:デヴィッド・O・セルズニック
- 監督:ヴィクター・フレミング
- 原作:マーガレット・ミッチェル
- 脚本:シドニー・ハワード
- 撮影:アーネスト・ホーラー、レイ・レナハン、ウィルフレッド・M・クライン
- 製作設計:ウィリアム・キャメロン・メンジーズ
- 美術監督:ライル・ウィーラー
- 装置:エドワード・G・ボイル
- 特殊効果:ジャック・コスグローヴ、リー・ザヴィッツ
- 音楽:マックス・スタイナー、ルー・フォーブス
- 衣裳:ウォルター・プランケット
- 編集:ハル・C ・カーン、ジェームズ・E・ニューカム
- メイクアップ:モンティ・ウェストモア
- 舞踊指導:フランク・フロイド、エディ・プリンツ
- 監督助手:エリック・G・スタッシィ
- テクニカラー色彩監督:ナタリー・カルマス
キャスト[]
役名 | 俳優 | 日本語吹替 | |||||
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ソフト版 | PDDVD版 | 日本テレビ旧録版 | 日本テレビ新録版 | テレビ東京版 | JAL機内上映版 | ||
スカーレット・オハラ | ヴィヴィアン・リー | 日野由利加 | 栗原小巻 | 戸田恵子 | 田中美佐子 | 鈴木弘子 | |
レット・バトラー | クラーク・ゲーブル | 大塚明夫 | 内田直哉 | 近藤洋介 | 江守徹 | 渡辺謙 | 仲村秀生 |
アシュレー・ウィルクス | レスリー・ハワード | 原康義 | 村治学 | 滝田裕介 | 荻島真一 | 井上倫宏 | 納谷六朗 |
メラニー・ハミルトン | オリヴィア・デ・ハヴィランド | 平淑恵 | 堀江真理子 | 谷育子 | 香野百合子 | 岡本茉利 | 沢田敏子 |
ジェラルド・オハラ | トーマス・ミッチェル | 今西正男 | 島香裕 | 神田隆 | 織本順吉 | 山野史人 | 池田勝 |
エレン・オハラ | バーバラ・オニール | 谷育子 | 宇乃音亜季 | 中西妙子 | 富田恵子 | 吉野佳子 | |
マミー | ハティ・マクダニエル | 青木和代 | 桂木黎奈 | 中村たつ | 神保共子 | 麻生美代子 | |
スエレン・オハラ | イヴリン・キース | 田中敦子 | 執行佐智子 | 勝生真沙子 | 芝夏美 | ||
キャリーン・オハラ | アン・ラザフォード | 佐々木優子 | 恒松あゆみ | 久住真理子 | 岡本茉利 | さとうあい | |
ピティ・パット叔母 | ローラ・ホープ・クルーズ | 斉藤昌 | 村上あかね | 中村紀子子 | 杉田郁子 | 山本与志恵 | 秋元千賀子 |
ミード医師 | ハリー・ダベンボート | 大木民夫 | 横森久 | 久米明 | 石井敏郎 | ||
ミード夫人 | レオーナ・ロバーツ | ||||||
メリウェザー夫人 | ジェーン・ダーウェル | ||||||
チャールズ・ハミルトン | ランド・ブルックス | 坂東尚樹 | 関根信昭 | 野島昭生 | |||
フランク・ケネディ | キャロル・ナイ | 福田信昭 | 原田清人 | 中田浩二 | 小山力也 | 広瀬正志 | |
ベル・ワトリング | オナ・マンソン | 高畑淳子 | 小沢寿美恵 | 駒塚由衣 | 横尾まり | ||
ポーク | オスカー・ポーク | 沢木郁也 | 池田勝 | 藤本譲 | 田口昻 | ||
ピーター爺や | エディ・アンダーソン | 宝亀克寿 | 及川広夫 | 辻村真人 | |||
スチュアート・タールトン | ジョージ・リーヴス | 宮本充 | 野島昭生 | 神谷和夫 | |||
ブレント・タールトン | フレッド・グリーン | 古川登志夫 | |||||
キャスリーン・カルバート | マーセラ・マーティン | 来路史圃 | |||||
ジョン・ウィルクス | ハワード・ヒックマン | 小山武宏 | 北村弘一 | ||||
インディア・ウィルクス | アリシア・レット | 幸田直子 | 山田礼子 | ||||
プリシー | バタフライ・マックイーン | 安達忍 | 山本嘉子 | 井上瑤 | 川田妙子 | 滝沢ロコ | |
ジョナス・ウィルカーソン | ビクター・ジョリー | 阪脩 | |||||
北軍大尉トム | ワード・ボンド | 小山武宏 | 中庸助 | ||||
ボニー・バトラー | カミー・キング | 藤枝成子 | |||||
フィル・ミード | ジャッキー・モーガン | 宮本充 | |||||
ジョニー・ギャラガー | J.M.キリガン | 宝亀克寿 | 北村弘一 | ||||
ビック・サム | エバレット・ブラウン | 銀河万丈 | 楠見尚己 | ||||
伍長 | アーヴィング・ベーコン | 岩田安生 | 塚田正昭 | ||||
ポーカーをする人 | ウォリス・クラーク | ||||||
役不明 その他 |
竹口安芸子 稲葉まつ子 小島敏彦 菅原正志 松本保典 堀越真己 津田英三 田原アルノ |
渡辺浩司 間宮康弘 石上裕一 小松史法 園部好徳 高橋圭一 鈴木貴征 田中結子 森口芽衣 さわやまゆか 市川智英 |
川路夏子 沼波輝枝 大久保正信 新田勝江 国坂伸 前川哲男 井口恭子 加藤正之 |
堀秀行 稲葉まつ子 斉藤昌 伊井篤史 小島敏彦 島香裕 堀越真己 星野充昭 渕崎ゆり子 |
稲葉まつ子 久保田民絵 沢海陽子 田中敦子 石塚理恵 松谷彼哉 竹村叔子 金子由之 水野龍司 小島敏彦 小山武宏 松本保典 佐藤淳 後藤敦 星野充昭 伊藤昌一 佐々木敏 廣田行生 岩崎ひろし 永迫舞 小暮英麻 |
大山高男 谷口節 矢野陽子 幹本雄之 平林尚三 関俊彦 | |
ナレーター | - | 有本欽隆 | 島香裕 | 鈴木瑞穂 | 横内正 | 若山弦蔵 | 麻生美代子 |
日本語版制作スタッフ | |||||||
演出 | 佐藤敏夫 | 羽田野千賀子 | 小林守夫 | 佐藤敏夫 | 左近允洋 | ||
翻訳 | 木原たけし | 原仁美 | 木原たけし | 額田やえ子 | |||
調整 | 熊倉亨 | 山田明寛 | 前田仁信 | 小野敦志 | 高久孝雄 | ||
録音 | 鈴木喜好嗣 | 坂井真一 | |||||
効果 | 芦田公雄 熊耳勉 |
リレーション | |||||
編集 | オムニバス・ジャパン | ||||||
選曲 | 重秀彦 | 東上別符精 | |||||
プロデューサー | 小川政弘 貴島久祐子 (ワーナー・ホーム・ビデオ) |
椿淳 | 深澤幹彦 渡邉一仁 |
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制作 | ワーナー・ホーム・ビデオ 東北新社 |
ミックエンターテイメント | 東北新社 | テレビ東京 東北新社 |
電通 グロービジョン |
- ソフト版:ワーナー・ホーム・ビデオ発売のVHS・DVD・BDに収録。
- 日本テレビ旧録版:初回放送 1975年10月8日(前編)、15日(後編)『水曜ロードショー』
- 日本テレビ新録版:初回放送 1988年1月1日『金曜特別ロードショー』※ワーナー発売のスペシャル・エディションDVD(4枚組)に収録(付属の資料にはソフト版のキャストが表記されている)。
- テレビ東京版:初回放送 2000年1月3日『20世紀名作シネマ』
- JAL機内上映版:1986年上映。アトランタへの直行便が開通した記念に制作された。
製作[]
ポストプロダクション[]
セルズニックとハル・カーンは1日23時間も編集を行い、時にはぶっ続けで50時間も働いていた。上映時間はまだ4時間半、タイトルは絵であったし、音楽はまだ出来上がっておらず1937年の『ゼンダ城の虜』の音楽が使われていた。デイヴィッドとアイリーンのセルズニック夫妻、編集のハル・カーンとジェームズ・E・ニューカム、ジョン・ヘイ・ホイットニーの5名で、フィルムを納めた缶を持ってリバーサイド市のフォックス劇場へ行った。そこで舞い上がっている劇場支配人に上映予定を切り替えさせ、観客にこれから覆面試写会が開かれることを知らせた。出入り口は封鎖され、誰も途中で席を立てないし、途中から入ってくることも出来ない、と。映画が始まり、マーガレット・ミッチェルの名前が出ると大拍手、タイトルが出ると割れんばかりの大歓声が起こった。セルズニック夫妻もハル・カーンも感激で泣いたという。上映後、回収したアンケートでは絶賛の嵐であった。
その後も少しずつフィルムを削る作業や撮り直しや追加撮影が行われ、10月13日にはオープニングシーンの最後の撮り直しもあった。
音楽は南部音楽に精通したマックス・スタイナーに8月14日に依頼されたが、さらに補助としてフランツ・ワックスマンとハーバート・ストサートが雇われた。
1939年10月18日にはサンタバーバラのアーリントン劇場でもう一度覆面試写会を開くと、再び嵐が巻き起こった。このあとさらに10日間の追加撮影を行い、11月11日に最終の追加撮影が終了。10月半ばにはセルズニックはアメリカ映画協会に「damn」というレットの最後の言葉を許可してもらえるように手紙を書いている。業界の重鎮たちが味方についたおかげで、このセリフは5000ドルの罰金で許可されている。
1939年12月11日の完成まで、撮影したフィルムは50万フィート、そのうち上映時間にして29時間になる16万フィートがプリントされた。最終2万フィート、222分の長さまで切り詰められた。
アトランタ・プレミア[]
1939年12月15日金曜日、南部のアトランタでワールド・プレミアが開かれた。ロウズ・グランド劇場の正面にトウェルヴ・オークス屋敷を模したファサードを建てたり、全ての商店のウィンドウにポスターを貼らせたりした。知事はプレミアの日は州の休日、アトランタ市では13日〜15日の3日間を休日にした。グランド劇場の座席数は2051、入場料が50セントの時代に通常の20倍の10ドルという高額料金であったが、6万人から応募があり、抽選になった[1]。
13日にヴィヴィアン・リー、ローレンス・オリヴィエ、オリヴィア・デ・ハヴィランド、イヴリン・キース、アン・ラザフォード、アリシア・レット、ローラ・ホープ・クルーズ、オナ・マンスン、デヴィッド・O・セルズニック夫妻、ケイ・ブラウン、14日にクラーク・ゲーブル、キャロル・ロンバードらキャストやスタッフが到着。スターや名士を乗せた30台の車からなるパレードが、空港からアトランタ市街まで行進した。どの道路にも人が鈴なりであった。また、市営の大講堂では当時の衣装を纏った人々によって、モンスター・バザーが再現された。
15日プレミア当日、スターと共に劇場に入った観客たちは涙ながらに拍手喝采をおくった。映画から衝撃を受けるがままに「反乱軍の雄叫び」をあげ、ヤジを飛ばし、悲鳴を上げ、歓声を送り、足を踏み鳴らした。
上映後、マーガレット・ミッチェルがゲーブルにエスコートされて舞台に立ち、「この映画は私に素晴らしい感動を与えてくれました」「色々言われながら理想の配役が得られるまで、黙り通したセルズニック氏の決意は賞賛に値します。そして配役は完璧だったと思います。」と述べている。グランド劇場では改装まで3年間続映した。
その後のニューヨークとロサンゼルスのプレミアでも同様の栄光が待っていた。
アカデミー賞[]
1940年2月12日、アカデミー賞ノミネートの発表が行われたが、この年は優秀な映画が多く、これまでで最良の年だと喧伝されていた。ところがデヴィッド・O・セルズニックが最後の最後で『風と共に去りぬ』を滑り込ませたことで、マスコミ各社や映画業界人が憤激の声をあげていた。『風と共に去りぬ』はアカデミー賞のオスカーで、12の部門で13人が候補に上るという記録を打ち立てた。助演女優賞候補にはオリヴィア・デ・ハヴィランドとハティ・マクダニエルの2人が候補になっている。
1940年2月29日、アカデミー賞受賞晩餐会の後、午後11時から第12回アカデミー賞受賞式が行われた。発表はまだであったが、恒例によって新聞各社には授賞式後すぐに公表できるよう受賞者のリストが配布されていた。ところがこの年の白熱状態に我慢できず、ロサンゼルス・タイムズ紙がこの日の午後の版に「デヴィッド・O・セルズニックがアカデミー賞を制覇!」と大見出しとともに発表してしまった。そのためアカデミー賞の封をした封筒を使う有名なシステムが採用されるようになった。
クラーク・ゲーブルは自分が最優秀主演男優賞を獲得できないことを承知でキャロル・ロンバートと一緒にやってきた。主演女優賞は激戦であったが、ヴィヴィアン・リーが獲得。スピーチでは「お世話になった人の名を全部挙げれば、あの映画ほどの長さにもなりかねません」と言ってデヴィッド・O・セルズニックに絞って感謝した。そしてこの日最大の喝采は最優秀助演女優賞を獲ったハティ・マクダニエルに捧げられ[2]。黒人俳優では初のアカデミー賞受賞であり、この先24年間は後を継ぐ者は出なかった。作品賞でのライバルは『駅馬車』『ニノチカ』『オズの魔法使』『スミス都へ行く』『チップス先生さようなら』『邂逅』『廿日鼠と人間』『愛の勝利』『嵐が丘』という映画の古典の殿堂であったが『風と共に去りぬ』が受賞した。セルズニックは作品賞以外にもアービング・G・タルバーグ賞も受賞している。
『風と共に去りぬ』はオスカー8部門同時受賞と、特別賞とアービング・G・タルバーグ賞も合わせれば10部門(さらに技術成果賞を入れて11部門)という記録破りを成し遂げ、司会のボブ・ホープは「まるでセルズニックの為の慈善興行みたいだね」とジョークを飛ばした。
アメリカ合衆国での公開[]
- 1939年12月15日、ジョージア州アトランタでワールド・プレミア[3]。その後ニューヨークとロサンゼルスでもプレミアを行う[3]。アメリカでは半年で約2500万人がこの映画を見た[3]。
- 1942年リバイバル[3]。
- 1947年リバイバル[3]。
- 1954年、それまでのスタンダードサイズをメトロスコープに上下をトリミングしてワイドスクリーンでリバイバル[3]。
- 1961年南北戦争100年祭を記念して磁気4チャンネル、ワイドスクリーン版を製作、全米200のスクリーンでリバイバル[3][4]。今までで最高の成績をあげる[4]。アトランタでワールド・プレミア[3]。ヴィヴィアン・リー、オリヴィア・デ・ハヴィランド、デヴィッド・O・セルズニックが参加。
- 1967年MGMが1年がかりで70ミリ版を作成[3][5]。10月に70ミリ版リバイバル。ロサンゼルスでプレミア[6]。
- 1971年70ミリ版リバイバル[3]。
- 1976年NBCが500万ドルでテレビ放映権を獲得[7]。11月7日放映、視聴率47.6%。
- 1978年CBSが3500万ドルで20年間のテレビ放映権を獲得[7]。
- 1989年製作50周年リバイバル[8]。2年をかけてカラー/サウンド復元版を製作[7]。
- 1998年製作60周年214スクリーンで大々的リバイバル[8]。
日本での公開[]
日本で『風と共に去りぬ』のチケットを買おうとしている人たち(1952年)
- 1952年9月4日、東京・有楽座、大阪・松竹座から全国ロードショー[9][3][6]。世界で30番目の上映[3]。当時ロードショー料金が200円だった頃、『風と共に去りぬ』は有楽座・松竹座では全館指定席、600円・500円・300円の超高額料金にもかかわらず、大当たりした[3]。当時1~3週間の上映が普通の時代に有楽座では86日の超ロングラン[9]。戦火に焼けただれたタラの農場で力強く立ち上がって行くヒロイン、スカーレットの姿に、戦争に打ちのめされながらも復興に生きた当時の日本人は目の覚めるような感銘を受けた[3]。1952年11月28日に一旦終了した後、12月13日より1953年1月3日まで有楽座にて22日間追加アンコールロードショー[10][11][12][13][14]。1953年6月30日から帝国劇場にて再映[3]。
- 1955年1回目のリバイバル。9月2日丸ノ内日活から全国ロードショー[3]。前年アメリカで公開されたメトロスコープのワイドスクリーン版で上映された[3]。
- 1961年磁気4チャンネル、ワイドスクリーン版リバイバル[3][4][15]。テアトル東京から全国ロードショー[3][9]。テアトル東京では152日のロングラン[9]。1962年新宿劇場で再映[3]。
- 1967年4月7日、70ミリ版が世界に先駆けて日比谷スカラ座でリバイバル公開、その後全国ロードショー[3][9]。初日には観客が劇場のあるブロックを延々と取り巻き、係員だけでは整理できなくなり、ついに警官が装甲車で出動する騒ぎとなった[6]。これが70ミリによる世界最初の公開だったので、この長蛇の列の写真はニューヨーク本社の注文で世界のMGM支社に送られた[6]。この時の写真は『風と共に去りぬ』の特典ディスクで入っている『幻のメイキング』で見ることができる[16]。日比谷スカラ座で119日のロングラン[9]。8月19日からニュー東宝で再映[3][9]。1968年3月16日テアトル東京で70ミリ版再映[3][9]。1969年3月新宿武蔵野館とテアトル銀座で再映[3]。
- 1972年2月11日、松竹セントラル、渋谷パンテオン、新宿ミラノ座で世界初シネラマ方式でリバイバル上映、その後全国ロードショー[3]。1972年12月1日日比谷スカラ座で70ミリ版再映[3][17]。MGM日本支社配給[9]。
- 1975年東京劇場、丸の内ピカデリー[18]、新宿京王、新宿東急から全国リバイバル[3]。東京劇場、新宿ピカデリーは70ミリ版上映。松竹・富士映画共同配給。1978年3月11日東劇、新宿京王、渋谷東急で再映[19]。その後全国ロードショー。CIC配給。
- 1982年5月15日丸の内ピカデリーから全国リバイバル[18]。12月丸の内松竹で再映[18]。CIC配給[20]。1987年10月10日東劇、新宿ジョイシネマ、東急レックスなどで再映、その後全国ロードショー[21]。UIP配給。
- 1989年製作50周年記念リバイバル[7]。カラー/サウンド復元版。丸の内ピカデリー1から全国ロードショー。UIP配給。
- 1997年リバイバル。日本ヘラルド配給[22]。1999年製作60周年記念再映[8]。有楽町スバル座から全国ロードショー。
- 2005年12月28日『風と共に去りぬ』誕生70周年記念、ル・テアトル銀座でデジタル・ニューマスター版リバイバル。東京テアトル配給[8]。
- 2011年『第二回 午前十時の映画祭』でリバイバル(フィルムで最後の全国リバイバル)[23]。翌2012年『第三回 午前十時の映画祭』で再映[24]。
- 2013年『新・午前十時の映画祭』で初のデジタル方式でリバイバル[25]。2015年『第三回 新・午前十時の映画祭』でデジタル上映[26]。
- 2019年『午前十時の映画祭10』で新たな4K素材を使ってデジタルでリバイバル[27][28]。『午前十時の映画祭』で5回の上映は、『ローマの休日』の6回に次いで多い。
日本でのテレビ放映[]
- 1975年10月8日と10月15日に日本テレビ の『水曜ロードショー』で前後編に分けて「永遠の超大作完全放送『風と共に去りぬ』」の題名で世界で初めてテレビで放映され(「世界初TV放送」を宣伝文句にしていた)、33.0%の視聴率 を記録した(ビデオリサーチ 調べ、関東地区)[29]。日本テレビは放送権を6億円で購入したとされる[29] 。
- 1979年10月3日と10月10日、1983年11月16日と11月23日には同じ『水曜ロードショー』で「いま甦る永遠の超大作『風と共に去りぬ』」の題名で再放送された。
- 1988年1月1日(金曜日)には、『金曜特別ロードショー』(『水曜ロードショー』の後身)の正月特別企画および「日本テレビ開局35年記念特別番組」の一環として吹き替えを新録し、18:00 - 22:51枠で初のノーカット一挙放送された[30] 。
賞歴[]
予告編
第12回アカデミー賞
- 受賞
- 作品賞:風と共に去りぬ
- 監督賞:ヴィクター・フレミング
- 主演女優賞:ヴィヴィアン・リー
- 助演女優賞:ハティ・マクダニエル
- 脚色賞:テンプレート:仮リンク
- 撮影賞(カラー):テンプレート:仮リンク、テンプレート:仮リンク
- 室内装置賞(美術賞):ライル・ウィーラー
- 編集賞:ハル・C・カーン、ジェームズ・E・ニューカム
- 特別賞:テンプレート:仮リンク(劇的な色彩の使用に対して)
- 技術成果賞:R・D・マスグレイヴ(風と共に去りぬの制作における調整された機器の使用の先駆者のために)
- ノミネート
- 主演男優賞:クラーク・ゲイブル
- 助演女優賞:オリヴィア・デ・ハヴィランド
- 作曲賞:マックス・スタイナー
- 特殊効果賞(視覚効果賞):テンプレート:仮リンク、テンプレート:仮リンク、テンプレート:仮リンク
- 音響賞:トーマス・T・モールトン
第5回ニューヨーク映画批評家協会賞
- 受賞
- 女優賞:ヴィヴィアン・リー
- ノミネート
- 作品賞
- 監督賞:ヴィクター・フレミング
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞
- 受賞
- トップ10フィルム
- 演技賞:ヴィヴィアン・リー
Faro Island Film Festival
- 受賞
- 観客賞作品賞:ヴィクター・フレミング
- Grand Jury Prize:ヴィクター・フレミング
- ノミネート
- 作品賞:ヴィクター・フレミング
- 観客賞男優賞:クラーク・ゲイブル
- 観客賞女優賞:ヴィヴィアン・リー
フォトプレイ賞
- 受賞
- 名誉賞:デイヴィッド・O・セルズニック
アメリカ国立フィルム登録簿
- 登録(1989年)
ピープルズ・チョイス・アワード
- 受賞(1989年)
- Favorite All-Time Motion Picture
Online Film & Television Association
- 殿堂入り(1997年)
DVD Exclusive Awards
- ノミネート(2005年)
- 総合ベストDVD、クラシック部門:ワーナー
サテライト賞
- 受賞(2009年)
- 最優秀総合DVD:70周年記念バージョン
- ノミネート(2009年)
- 最優秀クラシックDVD:70周年記念バージョン
アメリカ映画ベスト100:第4位
アメリカ映画ベスト100(10周年エディション):第6位
アメリカ映画の名セリフベスト100
- 第1位(レットの「Frankly, my dear, I don't give a damn.」に対して)
- 第31位(スカーレットの「After all, tomorrow is another day!」に対して)
- 第59位(スカーレットの「As God is my witness, I'll never be hungry again.」に対して)
版権とDVD[]
本作は日本においては著作権の保護期間が完全に終了(公開後50年と戦時加算を2004年の著作権法改正以前に満たす)している。米国に於いては著作権が切れる前に95年に延長されており、1939年制作なので保護期間は2034年まで有効である。 1986年にテッド・ターナー率いる「ターナー・ブロードキャスティング・システム(TBS、現在はワーナー・ブラザース・ディスカバリー傘下)」傘下になり、版権をワーナー・ブラザース・ピクチャーズのターナー・エンターテインメントに移された。 ワーナー・ホーム・ビデオから発売されたVHS版は日本でのリリースが米国に先行する形となり日本語字幕版を逆輸入するケースが相次いだため、本国でのリリースが前倒しになったテンプレート:要出典。またこの件の影響もあり、DVDは北米と日本でリージョンをわけられることになったテンプレート:要出典。
脚注[]
- ↑ レーザーディスク「『風と共に去りぬ』プレミアムBOX」1994年5月27日発売.「『風と共に去りぬ』の伝説」解説:日野康一.
- ↑ ハティ・マクダニエルが、差別によりアカデミー賞のパーティーに同席できなかったとか末席だったという記事があるが、新潮社『風と共に去りぬ 写真集』p274には少なくともアカデミー賞受賞晩餐会でハティ・マクダニエルが他の人々と一緒に席に座って写っている写真が載っており、末席でもない。
- ↑ 3.00 3.01 3.02 3.03 3.04 3.05 3.06 3.07 3.08 3.09 3.10 3.11 3.12 3.13 3.14 3.15 3.16 3.17 3.18 3.19 3.20 3.21 3.22 3.23 3.24 3.25 3.26 テンプレート:Cite book
- ↑ 4.0 4.1 4.2 1961年リバイバル版プレスシート.MGM日本支社発行.
- ↑ 1975年の『スクリーン「風と共に去りぬ」ワイド特集号』では1966年になっているが、1969年『スクリーン「風と共に去りぬ」特集号』やIMDb、2005年テアトル東京のプレスシートで、実際には1967年であったことがわかる。
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 テンプレート:Cite book
- ↑ 7.0 7.1 7.2 7.3 テンプレート:Cite book
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 テンプレート:Cite book
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 9.5 9.6 9.7 9.8 テンプレート:Cite web
- ↑ 毎日新聞.1952年12月12日夕刊4面東京版「風と共に去りぬ」有楽座広告「明日より上映。御要望と絶讃に応えたアンコールショウ」.
- ↑ 朝日新聞.1952年12月12日夕刊3版2面『風と共に去りぬ』有楽座広告.「明日より上映、アンコールショウ」.
- ↑ 毎日新聞.1952年12月13日朝刊13版8面.東宝広告.
- ↑ 朝日新聞.1952年12月13日朝刊12版8面など映画案内欄.
- ↑ 毎日新聞.1953年1月4日13版7面.『血闘(スカラムーシュ)』有楽座広告「本日より」
- ↑ 1975年9月15日発行の「スクリーン9月号臨時増刊『風と共に去りぬ』ワイド特集号」では、前年1960年9月4日に有楽座で再映したことになっているが、東宝株式会社のサイトの「資料室」では有楽座や東宝直営の劇場で1960年に上映された記録はない。
- ↑ 『幻のメイキング』1時間54分〜55分にかけての部分で登場。
- ↑ 東宝の資料室ではリバイバルとなっているが、上映期間が15日と少ないため再映だと思われる。劇場が松竹系から東宝系に代わったため、東宝としてはリバイバルの扱い。当時のチラシでもアンコール・ロードショーとして、始めから15日間の予定で再上映している。
- ↑ 18.0 18.1 18.2 テンプレート:Cite book
- ↑ 読売新聞1978年3月10日東京版夕刊に広告掲載。1978年3月11日より映画欄に掲載。4月7日まで上映。
- ↑ 1982年版映画パンフレット.松竹株式会社発行.
- ↑ 1987年10月9日朝日新聞東京版夕刊の「風と共に去りぬ」広告、「明日10日よりロードショー」。他に池袋日勝文化、相鉄国際、川崎チネ2、大宮ハタシネマ2が同時上映。
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- ↑ 29.0 29.1 引田惣弥『全記録 テレビ視聴率50年戦争―そのとき一億人が感動した』講談社、2004年、130頁。ISBN 4062122227
- ↑ 「完璧版 テレビバラエティ大笑辞典」(白夜書房)79頁(同本では11 - 81頁で昭和元日の新聞ラ・テ欄を掲載) 2003年
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